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カテゴリー「日本史」の18件の記事

2020年12月 8日 (火)

NHK大河ドラマ特別展「麒麟がくる」(岐阜市歴史博物館)観覧の巻

 去る9/18~11/3にかけて岐阜市歴史博物館で開催されていた、NHK大河ドラマ特別展「麒麟がくる」に出かけてきました。この展覧会は大阪でも開催予定だったのが、コロナ禍のせいか中止になったらしくてこの岐阜開催分が全国唯一のものとなったようです。優越感を感じますね。
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 展示物は質量ともに大変優れていて、逆に印象に残りにくいほどでした。故に感想も書き残しにくい部分がありますが、そんな中でも強く印象に残ったのが「明智光秀覚条々」。本能寺の変後に同心を期待していた細川家に宛てて明智光秀が送ったという「今回はおたくの息子を取り立てようと思って起こしたことなんで…」などといった内容である、天正10年6月9日付の文書です。頼みにしていた細川家が味方に付いてくれず気落ちした光秀の様子が伝わってくる、もの悲しさを感じさせる一筆の現物を見られたのは価値の高いことでした。

 岐阜市歴史博物館では同時に「麒麟がくる 岐阜大河ドラマ館」という展示も開催されています。大河ドラマのメイキングシーンとか、演者の衣装や小道具などを展示して大河ドラマの世界も堪能するという趣向のものです。ついでに観覧してきましたが、ドラマを途中までしか観ておらず放置している筆者でも充分楽しめるものでした。斎藤道三の娘にして織田信長正室となる帰蝶が着ていた、蝶の模様があしらわれた着物が展示されていましたが、筆者は演者の川口春奈さんがとても美しいと思うので、着物を見ているだけで気持ちがぽーっとなってしまいます。デザイン的にも大変優れていると思うこの絵柄を使った商品があればぜひ購入したかったのですが、残念ながらそういうものはないようでした。
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 会場では明智光秀ゆかりの地の観光案内とかパンフレットの類がたくさん配布されていました。2,500円だったか、結構お高いものの非常に分厚くて読み応えのありそうな図録や、細川家に伝来した文書や美術品を管理しているらしい「永青文庫」の季刊誌も購入し、併せて大量に持ち帰ってきました。今後ゆっくり読み返して復習したいと思います。
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2020年11月15日 (日)

岐阜県博物館の特別展「光秀が駆けぬけた戦国の岐阜」観覧の巻

 9/18~11/15に開催の岐阜県博物館特別展「光秀が駆けぬけた戦国の岐阜」を見てきました。いちおう「麒麟がくる」の明智光秀にかこつけてはいますが、光秀がメインというわけではなくて同時代の美濃や飛騨の在地武将や情勢を特集しているという内容でした。
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 展示品は県外からのものが多くありました。西美濃三人衆と称された稲葉一鉄の稲葉氏は、臼杵に移封された関係で、美濃にいた頃の文書は大分に伝来しているみたいで、多くが大分県からの借り物です。織田家有力家臣の森氏(長男の可成以下、長可・乱丸・坊丸・力丸と兄弟5人戦死している!)は美作国の大名となったからなのか「赤穂大石神社」の所蔵物が多かったのですが、赤穂は播磨国のはずだから何か変な感じがします。

 また岡山の林原美術館所蔵の「古判手鑑」という文書が大規模に展示されていました。花押や筆跡の見本帳というつもりなのか、古今東西の武将が発給した文書の現物を池田家でたくさん収集しスクラップしたもの…みたいな感じの文書です。ここの美術館は「本能寺の変」の原因として近年有力視されることの多くなった「四国政策説」を補強する重要資料「石谷家文書」を所蔵している関係から特に取り上げたのかもしれません。面白い資料だと思います。

 江戸時代のいわゆる三百諸侯の中で、美濃・尾張・三河出身の藩は4割程度あると以前聞いたことがあります。一部ではあるものの、美濃出身の大名家のことをいくつか知ることができました。あとは「麒麟がくる」をよい機会ととらえてゆかりのある各自治体が作成したパンフレット類がたくさん配布されていて、これらを持ち帰って読むのも結構楽しかったです。大河ドラマ放映中にすべてを訪れるのはとても無理そうですが、一過性の人気とは関係なくのんびりと訪問して明智光秀に思いを馳せたいものです。この特別展もいろいろ勉強になりました。
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2020年9月 5日 (土)

「明智光秀と戦国京都」展(京都文化博物館)

 京都文化博物館の総合展示の部で6/20~8/16に開催されていた「明智光秀と戦国京都」展に2回ほど出かけてきました。特別な展示でなければ500円(地下鉄一日券の提示で400円)で気軽に入場できるのはありがたく、他の用事で出かけたついでに観覧です。
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 こじんまりした展示でしたが、日本史上に明智光秀が登場する前後の京都の情勢を、関連する古文書等を通じて紹介するというのは面白い着眼点だと思いました。展示名とは裏腹に、明智光秀に直接関連する資料は少なめでしたが、没落した足利将軍家を推戴して畿内を掌握した勢力が簡略ながら押さえられていて、勉強になりました。全16ページの図録が入場者限定で無料配布(後日有料配布もあったらしい)されましたが、こちらもきちんとまとめられたいい資料です。

 本件以外にも各地で「麒麟がくる」と連動した展覧会やイベントが開催されていますが、ちょうどコロナ禍と重なってしまい気軽に出かける気分でなくなってしまったのは残念でした。NHK大河ドラマも全話録画はしているものの、放映中断の話を聞いてからは何となく観る気力も減退して、そのまま放置しています。ドラマはいつでも観られるからまだいいとしても、展覧会の類はどうしたものか少し悩んでいるところです。本当に麒麟が現れるような世の中になってほしいものです。

2019年5月12日 (日)

高雄山神護寺・栂尾山高山寺参拝(令和の十連休の過ごし方その4)

 5/2(木)は京都高雄の神護寺と高山寺へ参拝しました。京都市交通局のポスターコラボ企画「地下鉄&バスで、高雄へ行こう!」へ参加したついでの話ではありますが、簡単には出かけにくい場所にある古刹を訪れるきっかけとしては実にありがたい企画でした。ポスターは企画開始直後の4/12(金)に既に1回出かけた際にB1判のほうを入手済みであり、今回はB2判を入手です。

 神護寺といえば教科書等でおなじみの「伝源頼朝像」が伝来した寺院ですが、例年5月1日から5日までそれら国宝を含む伝来物を「虫払い」と称して一般公開するのが年中行事なのだそうです。今回はこれを狙って出かけました。境内の拝観料は600円ですが、宝物の観覧は境内へ入る必要はなく、別料金の観覧料800円だけで見られます。参道登り口の看板には「徒歩5分」と書いてありますが5分では最初の踊り場くらいまでしか行けないと思います。
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 展示品には掛け軸が多かったのですが、ふすまや壁に無造作にかけてあります。わが家の萌えタペストリー類と同じ感じです。くしゃみして唾がかかったり、つまずいて転んだはずみにアイヤーと手を突いて破いたりしないか心配になります。「伝源頼朝像」と「伝平重盛像」はさすがに国宝だけあって床の間にかけられていましたが、思ったよりサイズがでかい。写真などでは一見真っ黒に見える装束には紋様があしらわれています。伝平重盛像のほうは少し保存状態がよくありません。この2幅は京都国立博物館に預けられているのが、この時期だけ帰ってくるそうです。国宝3幅セットのもう一つ「伝藤原光能像」は東京国立博物館が預かり中ですが、お寺さんによると「東京国立博物館は外に出したがらない。でもあれは元々うちの物なんだけど」と笑って解説していました。
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 豊臣秀吉が発給した朱印状と、徳川家康が発給した朱印状というのも並んで展示されていました。テーブルに広げてガラスの文鎮をのせてあるだけです。こら、おばさん触るな!どちらも内容は寺領寄進のお知らせのようですが、秀吉は25石くらいなのに対し家康は200石以上なのだそうです。朱印状そのものも、家康発給のほうは秀吉発給のものより2倍以上大きなサイズです。この違いは政治的な理由で、秀吉と異なって家康は西国方面が脅威だったから、いざとなれば軍事上の拠点ともなりうる神護寺は大切に扱う必要があって、寺領寄進も一ケタ多く気を遣っているのだとお寺さんが解説されていました。家康のほうは「内大臣」署名である慶長6年(1601年)の発給ですから、時期的にいっても興味深く納得できる話です。

 この他弘法大師の真筆などといった、めったに見られない宝物を十分堪能してから、高山寺へ移動します。歩道の整備されていない山の中へ少し歩きます。昨年の台風被害によるものなのか参道が工事中で、コラボポスターの現場が見られなかったのは残念でした。国宝の「石水院」に上がって展示品の鳥獣戯画などを見ましたが、模写なのか現物なのか解説がなくよく分かりません。かなり歩き疲れたため、軒先からぼんやりと山の風景を眺めてゆっくり休憩してから帰りました。「週末近鉄フリーパス」の有効期限3日めがまだ残っており、京都から奈良方面へ行くのもいいなと考えていましたが、険しい参道を登っての参拝に疲れ果ててこのまま帰宅です。ただし車での帰路もすさまじい渋滞で、帰り着いた時はもうくたくたでした。
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 今回は京都市営バスを利用したわけですが、運転や運転手さんの応対は丁寧で車内案内も分かりやすいものでした。よくない評判を聞くこともありましたが、車内放送も早口で何言っているのか分からなかったり、「おい!何やその定期の見せ方、お前なめとんのか」と客を脅す(これは以前筆者が直接経験した完全な事実)などなめた態度の運転手が多い岐阜バスとは雲泥の差です。自信持っていいと思います。連休中の活動記録記事はこれで終了ですが、主に得られた知見は「岐阜バスはダメ」(何じゃそりゃ)。

2018年11月11日 (日)

岐阜県博物館の特別展「信長・秀吉・家康と美濃池田家―大御乳・池田恒興・輝政の戦い―」観覧の巻

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 岐阜県博物館で開催していた特別展「信長・秀吉・家康と美濃池田家―大御乳・池田恒興・輝政の戦い―」を11/3(土)見てきました。それまでの池田氏に関する知識としては、

 

・織田信長の乳母が池田氏の出身で、その子池田恒興は信長の乳兄弟にあたり、有力な家臣として活躍した

・恒興は本能寺の変後、羽柴秀吉と結んだが小牧長久手の戦いで嫡男の元助とともに戦死した

・恒興の次男である輝政が家督を継ぎ、関ケ原の戦い後徳川家康から播磨を与えられ、姫路城を築城した

・その後の池田氏は岡山藩と鳥取藩として幕末まで存続した

 

という程度のものでしたが、この展覧会ではもっと詳しく知ることができると前から楽しみにしていました。11/3は文化の日ですが、この日は「県民文化の日」と称して入館料が無料と聞いており、こちらを狙っての訪問です。

 

 展示はかなり見事なものでした。信長の乳母として「大御乳」と尊称された「養徳院」は、信長のみならず秀吉・家康からも絶大な尊敬を集めていたようで、非常に細やかな配慮のなされた手紙が驚くほどたくさん送られています。それらが今日まで大切に伝来されていることも素晴らしいことです。また輝政の室である「良正院」は家康の娘だそうですが、この人は北条氏直に嫁いだ後に離縁されて戻ってきた「督姫」です。それは知らんかった。また池田氏は岡山藩と鳥取藩として存続したわけですが、もともとが美濃国出身であることを忘れてしまったわけではなく、恒興より前の池田家の先祖が帰依していた美濃のお寺さんに供養の位牌を納めたり、参勤交代の折に参詣したりして下さっていたようで、美濃国人としては何だかうれしく思いました。

 

 池田氏とは直接関係なさそうにも思えますが、かなりびっくりさせられるものも展示されていました。「土橋重治宛明智光秀書状」、本能寺の変直後の天正10年6月12日付と比定される、先ごろ原本が発見されて話題になった明智光秀直筆の書状です。まさかこんなところで実物を見られるとは思ってもいなかったので、思わず声をあげてしまうほど驚きました。この文書を所蔵している「美濃加茂市民ミュージアム」からは他にもいくつか出展物があり、一体どんな資料を収集しているのかが気になります。こちらも行ってみたくなりました。

 

 これ以外に興味深かったのが、展示品解説に付けられていた「ふりがな」。「豊臣秀吉」のふりがながすべて「とよとみ『の』ひでよし」と、『の』が間に入っていました。「豊臣」は朝廷からの賜姓だから「みなもと『の』よりとも(源頼朝)」とか「ふじわら『の』かまたり(藤原鎌足)」とかと同じく『の』を入れるのが確かに正式な名乗りなのかもしれません。「各務原」のふりがなを間違えるような博物館が、こんなところにこだわっているということが妙におかしく感じました。

 

 今回も勉強になりました。復習のために図録を購入しましたが、前回来た時に売り切れでちょっとムカついていた「壬申の乱の時代―美濃国・飛騨国の誕生に迫る」の図録が売られていたので一緒に購入して帰りました。「倉庫に残っていたので若干数販売」というよく分からない理由です。何じゃそら。

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2018年8月20日 (月)

平成最後の夏休みの過ごし方

 今年(平成30年)の筆者の夏休みは、8/11(土)から8/19(日)までです。当初は伊勢志摩方面を廻ろうかと考えていましたが、予定を変更し極力地元でおとなしくしていることにしました。8/14(火)の一日だけ京都へ出かけ、気になる所用を全部済ませてきました。以下はその記録です。

 

1)京都で献血「ケンケツノススメ京都」

 京都府赤十字血液センターとアニメ「ヤマノススメ」がコラボして、特製アクリルキーホルダーがプレゼントされるという企画が実施されています。9月の「京まふ」に合わせて再度「響け!ユーフォニアム」とのコラボが実施されるとすれば、今時分に献血しておかないとその頃ちょうど間隔制限に引っかかりそうです。そこで珍しいプレゼントゲットも兼ねて京都で献血しておきました(もう一つ用事があったのだがそれは内緒)。

 

 無料ドリンクの種類が充実していて、今の時期はアイスクリームも食べられる四条の献血ルームが筆者のお気に入りです。今回は「献血終盤に口がピリピリするなどの症状を防ぐ」という理由で、さらにヨーグルト風味の紙パック飲料の配布があり、その上にコラボキーホルダーのプレゼントまで頂けて満足でした。筆者が献血をするのは100%私利私欲のためなので、もらえる物はひとつでも多いほうがよいのです。

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(2)「地下鉄に乗るっ」関連

 京都市消防局公式キャラの北山駆隊員イラストのトラフィカ京カードが発売中のようですが、特に告知はなく自動券売機のみでの販売(手売りがない)と聞いていました。烏丸御池駅で販売されているのを発見し無事購入です。京都駅と四条駅では見当たりませんでした。

 

 郵便局で「かもめ~る」を購入すると、太秦麗姉さんのクリアファイルプレゼントへの応募券がもらえるという企画もあり、京都文博近くの郵便局で適当に購入して無事ゲットできました。はがき5枚買ったら応募券も5枚です。懸賞応募くらいしか使い道はありませんが、わらしべ長者みたいに大きなリターンを狙いたいところです。

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3)京都文化博物館「信長上洛―京都・織田信長入京から450年―」展

 京都文博では現在「西尾維新大辞展」が開催中ですが、筆者はこちらのほうには知識も興味もありません。それよりも同時に開催されている「信長上洛―京都・織田信長入京から450年―」展のほうが気になっていたのでこちらを観覧してきました。常設展示の入場料500円(地下鉄一日券の提示でここから100円引き)で見ることができます。

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 そんなに大規模でも派手でもなかったのですが、入場料400円なら十分満足できる内容でした。昨年(平成29年)は織田信長が美濃を攻略し当地を「岐阜」と名付けて450年でしたが、美濃攻略の翌年に早くも上洛を果たしているあたり、他の戦国大名とは異なる信長の「意識の高さ」を読み取ることができます。

 

4)その他

 がらくたショップ数軒に立ち寄ってゲットできた戦利品たちです。集まった物たちを片づけるために外出を控えるはずだったのにまた増やしてしまった。でもかわいいし!

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2018年5月13日 (日)

古田織部美術館「織部はキリシタンか?」展観覧の巻(平成30年のゴールデンウィークのすごし方その1)

 筆者の今年(平成30年)のゴールデンウィークは、4/28(土)5/1(火)5/2(水)が出勤で、あとはカレンダー通りの休日でした。どう過ごすか連休前からいろいろ思案していましたが、概ね思った通りに過ごせました。項目ごとに記録しておきます。

 

 4/29(日)は京都の北山にある「古田織部美術館」に行ってきました。古田織部といえば美濃国出身の戦国武将で、焼き物や茶道の世界にその名を残している著名な人物…という程度の知識しかありませんが、以前から興味を持っており、たまたま地下鉄構内で見かけた「織部はキリシタンか?」という催事のチラシに魅かれての訪問となりました。場所は地下鉄の北山駅すぐそば、京都市植物園前の道路をはさんで北側にあるちょっとしたビルの地下1階で、うっかりしていると通り過ぎてしまうようなところにあります。

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 今回の催事は「茶道にはカトリックのミサに影響されたと思われる所作が多く見られ、『利休七哲』の中にもキリシタンが何人もいるので、同じく利休七哲の一人である古田織部はどうだったのかを検証する」というコンセプトでした。棄教を拒否してマニラへ追放された高山右近の新発見書状というのが展示の目玉みたいでしたが、高台部分に十字模様が切ってある茶碗や、十字模様が絵付けされている茶碗、キリシタン武将の手になる茶杓などが展示されていました。こういったものに対する目利きなど全くない筆者ですが、こういう古い物や展示されている場所が醸し出す雰囲気を感じるのは、たまにはいいものです。

 

 館内には「千利休はキリスト教に傾倒したため豊臣秀吉に切腹を命じられた」という説を取るBS-TBSの番組が放映されていました。今回の催事では、古田織部も千利休も共に最期は切腹しているので、両名ともキリシタンではなかったのだろう(キリスト教は自殺を強く禁じているから)と結論づけていましたが、キリスト教が茶道に大きな影響を与えていたことは間違いないようです。お茶のこともキリスト教のことも全然分かりませんが、関係なさそうなものが深い部分で実はつながっているということに知的好奇心を大きく刺激させられました。今後も興味深い企画があったらまた行ってみたい場所です。

 

 さてこの古田織部美術館、通常の入場料金は500円ですが、催事図録や関連書籍を一緒に購入すると割引になるという面白い設定でした。気分が高揚していたせいで、「入場料500円+図録400円+書籍4500円=定価5400円のところセットで4200円」というもので入場してしまいました。図録やパンフレットなどを一緒に買うことの多い展覧会や映画など、どこでもこういう設定があればいいのにと思いました。勢いで買ってしまった定価4500円の書籍「キリシタン大名」、かなり難解な内容なので寝付けない時に読むとよく眠れそうです。

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2017年11月24日 (金)

岐阜県博物館の特別展「壬申の乱の時代―美濃国・飛騨国の誕生に迫る」観覧の巻

 岐阜県博物館で開催されていた特別展「壬申の乱の時代―美濃国・飛騨国の誕生に迫る」を見に行ってきました。会期終了1日前の11/18(土)のことです。「壬申の乱」といえば、大海人皇子が天武天皇に即位するにあたり672年に起こった内乱で、美濃国の豪族が天武方に付いて大きな役割を果たした…という知識がある程度です。郷土の歴史を深く知る機会だと思い、そこそこ期待して出かけました。

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 内容は、率直に言って物足りませんでした。壬申の乱で活躍した美濃国の豪族たちについてもっと詳しく教えてほしかったのですが、そもそも資料が少ないのかあまり触れられていません。岐阜県内の古墳や遺跡からの土器や瓦や刀剣などの出土品多数の展示は、確かに見事なものですが自分の興味からは少し外れています。奈良などから出土した木簡に美濃や飛騨の記載があるというのも、確かに岐阜県民的には興味深いものの「美濃国・飛騨国の誕生に迫る」ところまでは行っていません。壮大なテーマに対して展示内容がやや貧弱だと感じました。

 

 その他、年少者向けに「字が書いてある。分かるかな?」と解説してあるものに限って、どう目を凝らしても字など見えない。ふざけんな(笑)。あと「各務原」に「か『が』みがはら」と送りがなが振ってあるのが許せませんでしたね。各務原市が公式としている読み方は「か『か』みがはら」であり、岐阜県の博物館が犯していい誤りではありません。極め付けは、復習のために購入しようとした図録が売り切れという、確かに会期終了寸前に行った自分が悪いのでしょうが、ちょっとそれはないだろうと思いました。

 

 そんなわけで期待外れだった今回の展覧会ですが、一部を除いて展示物の撮影が自由だったのは珍しいやり方でした。こういう試みは今後もぜひ行って頂きたいものです。

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2017年8月14日 (月)

祖父の軍歴を調査してもらいました

20170814_4 毎年8月は日本人全体で先の大戦を振り返る時季ですが、本年の筆者も個人的に少しそこに乗っかった記事を作成してみます。昨年(平成28年)末だったか「艦これ」関連の掲示板を眺めていたところ「曾祖父が海軍艦船に乗っていたような資料が出てきたが、軍歴などを調べる手段はないだろうか」という内容の書き込みがありました。これに対する知恵者のアドバイスを読んでみると、曾孫だと無理だが孫の代までなら親族から照会することができるのだそうです。そういえば筆者の父方の祖父は、戦争中海軍にいたという話(いわゆる「精神棒」で殴られた話など)を父からわずかに聞いたことがあります。父も祖父も既に亡くなっているので今そういう話を聞くことはできませんが、興味が湧いたので実際に調べてもらうことにしました。

 

 問い合わせ先は厚生労働省です。サイトに「旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の請求について」( http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000093051.html )という案内があり、ここの記載通りに手続きをしてみました。旧陸軍関連は各都道府県が窓口ですが、筆者(の祖父)の場合は旧海軍なので、厚生労働省へ依頼します。事前に電話で確認したところ、遺族関係が証明できる戸籍はコピー不可で現物を送らなければなりませんが、調査が終了したら返却されるとのことです。筆者は父が平成23年に亡くなった際、相続手続きに必要だった為取り寄せておいた祖父の除籍謄本を保管してあったので、これを提出しました。除籍謄本はいつ取得しても内容は同一なので、調査依頼者の住民票と異なり「請求日前30日以内の発行」である必要はないようです。

 

 整えた資料は本年(平成29年)1/18に郵送し、約3か月後の4/12に回答が返送されてきました。当方からの送付は普通郵便を利用しましたが、返送は簡易書留でした。返信に際しての送料は先方もちです。請求書に添付した各種書類は申請書以外すべて返却されてきました。厚生労働省の封筒って何気にレアですね。

 

 気になる調査結果ですが、提供されてきたのは「履歴原表」という書類1枚です。カラーコピーされたものが送付されてきましたが、もともと字が不鮮明で判読困難な部分もあります。しかし大略は分かりました。きわめて大ざっぱに把握すると、

 

 ・昭和19年9月に召集後、海軍二等整備兵として航空隊に所属

 ・昭和19年12月に病気で入院

 ・入院直前に一等整備兵に昇進

 ・昭和20年7月に病気のため召集解除

 

…冴えません、何やってんの(笑)。祖父は農業のかたわら鋳掛(鍋や釜の修繕)をしていたと聞いていますが、特に工業系の優れた技量を持っていたわけではないはずです。海とは無縁の岐阜県民で、なおかつすぐ入院してしまうような病人が、海軍に召集されるという事態は孫世代から見てもかなり異様に感じます。多分単なる人数合わせだったのでしょう。「艦これ」に登場する艦船に乗り組んだ形跡などあればいいなあと少しだけ期待していたんですが、まあ昭和19年では艦船の多くが戦没していただろうし、そもそも航空隊所属なら無理っぽい。残念ですが仕方ありません。

 

 この祖父、孫は筆者含めて12人(子は父を含めて5人)いますが、すべて死去後に生まれています。軍歴を調べるような突拍子もない孫は筆者しかいないはずです。機会があったら本家の仏壇に報告でもして驚かせてやろうかと思います。あとはこの「履歴原表」、見方や記載されている単語、航空隊の場所など知識のない部分が多く、ちょこちょこと調べてはみましたがよく分かりません。今後機会を設けてもっと詳細に調査したいところです。

2017年6月21日 (水)

岐阜県博物館の企画展「関ヶ原~天下分け目の合戦と美濃」

 久々に博物館という施設に出かけました。岐阜県博物館で開催されている企画展「関ヶ原~天下分け目の合戦と美濃」の観覧です。

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 展示品は全部で30点程度と、かなりこじんまりした内容でした。織田信長以降の岐阜城主に関する資料と、その後関ヶ原合戦に至るまでの関連諸将が発給した文書などが主な展示内容です。6/17(土)の午前中に行きましたが、客は4人くらいでガラガラです。そんな中で学芸員さんが2人いて、筆者に展示内容を説明してくれました。多分暇だったんだと思います。

 

 ひとつ筆者の目を引いたのが、慶長5年(1600)4月20日付の小早川秀秋書状です。宛先は東本願寺門主の教如、内容は「昨日接待を受けてお礼に訪問するべきところだが、今日は徳川家康に用事があるので失礼する」というものだそうです。家康は翌21日に北政所と会見しており、秀秋はおそらく同席したらしいこと、教如は家康からわざわざ京都に土地を与えられて東本願寺を別立しているほどの親家康派であることを考えると、関ヶ原合戦の5か月近く前の時点で実はかなり話が付いていたんではないかと想像できます。ちなみに秀秋を家康方に寝返らせることに功があったという、当時秀秋の家老だった稲葉正成が美濃出身なので特に取り上げられているみたいです。この人春日局の元夫ですよね。

 

 そういえば秀秋書状、文頭に追伸された文が「昨日大酒を飲んだので今日は二日酔いです」って、この時秀秋まだ19歳やんか。未成年がお酒を飲んではいかん(笑)。それに翌日家康(と北政所)に会うことが分かっているはずなのに二日酔いするほど飲むなんて、完全にアル中です。2年後に死亡したそうですが、精神を病んでいたような様子もあったとも聞きます。「裏切者」と蔑まれることを苦にしてというのももちろんあったでしょうが、肝硬変から来る肝性脳症による影響もあったのかもしれません。

 

 館内の別室では、ちょっと変わった展示がありました。「日本刀押型展」という、要するに魚拓の刀剣版です。刀剣の形や銘は写し取れても刃紋は写し取れません。どうするのかというと写生するんだそうです。写真のない頃はそうでもしなければ他に方法はなかったのでしょうが、現在は写真があるのであまり意味はないような気がします。しかしこれも突き詰めれば美を感じることができるという趣向から、岐阜の刀剣保存協会の人が始めたというものらしいです。筆者はもともと刀剣にはあまり興味がない(剣士のほうには興味がある)ので、これらには特に反応しませんでしたが、まあいろんな世界があるものだと感じました。

 

 今回の展示はものすごく面白かったわけではありませんでしたが、入場料がたったの330円であることを考えるとまずまずの内容でした。どうでもいいんですが平日に行くと売店でうどんが300円で食べられるとのことです。早いシフトの仕事帰りに寄れない場所でもないので一度行ってみようと思います。

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